落ちているのか、留ったままなのか。

 何も努力をせず生きていたら、どうやら社会は僕を負け組だと認識し始めた。

 思えば敷かれたレールの上だけを進んだ人生だった。ある時そんな平凡が嫌になり、特に精神を患ったわけでもないのに悲劇の主人公ぶってレールを外れてみた。しかし意外にも生きてはいけた。それなりの給金とそれなりの人間関係。決して華やかとは言い難いが退廃的な世界は社会経験のないモラトリアム青年には魅力的かつ刺激的であった。

 しかし、どこまで行っても所詮は飽きてレールを外れる様な人間なのだ。急にまともな生活を欲してしまったのだ。

 そんなモラトリアムにも社会はある程度寛大だった。知識もない。経験もない。資格もない。あるのは馬鹿の一つ覚えで繰り返していた社会への反骨心と限界まで溜め込んでいる負債だけだ。

 貯蓄のないまま働き始めた青年は気付く。給与の振り込みは来月末であると。

 それからはカードローンのサイトで申請の繰り返しだった。あるカードに申請しては審査に落ち、あるローンを申請しては落ち、その度にああ、おれは負け組なんだと初めて気付く。どうやら社会で生きる際、最後の最後にものを言うのは知能や持ち物などではなく、信用らしい。

 結局青年は一つだけ審査を通過する。しかし利用可能限度額は希望額の半額である。

希望額というのは家賃、光熱費、水道代と最低限の食費にかかる金額を提示した。しかし来月はその半額で生き抜かなければならないのである。

 青年はふと思う。どこで間違えたのだろうと。何をやっても努力せずに平均点を取り、それだけでうまくやれている自負はあった。しかし今のお前といえばなんだその体たらくは。

 青年は現状維持で満足した。これが間違いだったのかもしれない。世界は進歩し続ける。もちろんライフステージも進み続ける。そこに平均点にかまけ前進を拒んだ青年がいた。

 青年が落ちこぼれたのか、はたまた青年はそこに留ったままなのか。いずれにせよ、彼の受難は続くであろう。